豆相震災(ずそうしんさい)は、1930年(昭和5)11月26日4:00に発生した地震により、箱根や北伊豆の各地で発生した被害(1)(2)。死者254人(1)ないし272人(2)、全壊家屋2,166戸(2)。 神奈川県測候所の報告によると、震源域は、箱根山から田代、丹那の両盆地を経て、浮橋に至る南北約30kmの断層線(丹那断層)で、マグニチュード7の直下型、宮ノ下から箱根町に至る地域で震度6を記録した(2)。 地震発生前から、同年2月から5月にかけて伊東沖で4,100回を超える有感地震が続き、それが収まった後、8月15日に日金山で強震があり、11月初旬から箱根に近い伊豆北部で群発地震が発生していたため、専門家の間で丹那断層の活動による強震が警戒されていた(2)。 被災状況 神奈川県測候所長だった高木健の地震直後の報告によると、以下のような被災状況だった(2)。 三枚橋の向かい側、神明町の山崖に架かっていた小田原電灯会社の水力発電用導水管が崩落した。 宮ノ下より上で、山角や道路の至る所で崖崩れが起きた。 小涌谷の地内、通称一目千本あたりで道路が大きく波打っていた。 芦之湯温泉場では、松坂屋、紀伊国屋の2旅館、郵便局、小学校、その他民家が被害を受けた。 湯ノ花沢門前の土橋が墜落した。 駒ヶ岳の北東側、標高1,300m付近で2ヵ所の崩落。 芦之湯から精進池に至る国道上に、二子山からの落石が3ヵ所あった。 箱根神社の拝殿の石積みが南方に崩れ、神殿と神垣の礎石が東に移動。 元箱根町から杉並木までの芦ノ湖沿いの国道のほとんどに亀裂が入った。 箱根離宮では、官舎が流失し、御殿が倒壊した。 箱根町では9割方の家屋が全半壊し、9人が死亡、重軽傷者多数の見込み。 孫助山から山津波が起きて箱根町に達し、万福寺が埋没した。 新国道はほぼ全域にわたり崩れや亀裂の被害が出た。 ...