ここでは、一休寺墓地 について紹介します。
在所:京田辺市一休寺内
【ポイント】
①.以下の墓石が確認出来ます。
・茶人寸松庵
・近江源氏六角(佐々木)承禎
・観世流3代、15代、19代
【関連写真】
【補足説明】
①.現地案内板(能楽観世流の墓)
3代 音阿弥
15代 元章
19代 清興
能楽の発展は、観世りょおの観阿弥。世阿弥父子と室町幕府三代将軍足利義満によるところが大きい。
2代世阿弥は6代将軍足利義教により追放され、義教の寵愛を受けた世阿弥の甥の音阿弥が3代目の観世太夫となった。
音阿弥は「希代の上手」といわれ名人の名が高い。
深く一休に帰依していたという。
応神元年(1467)に亡くなった。墓石は19代清興が文化2年(1815)に建立したものである。中央に音阿弥、右に元章、左に清興と3基ならんでいる。
➁.近江源氏 佐々木承禎の墓
戦国時代の武将で南近江の守護、六角義賢ともいう。
観音寺城主であった。
上洛を目指す織田信長の侵攻を受け、永禄11年(1568)観音寺城を退去し流浪の身となった。慶長3年(1598)に宇治田原で病死したという。
承禎以外にも息子の義治など一族の墓もある。
➁.観阿弥の出目
吉川英二の小説「私本太平記」によると楠木正成の妹が伊賀の服部家に嫁いで生まれたのが「観阿弥」とある。Wikipediaでもこのことに触れられている。
【参考情報】
Wikipedia:観阿弥
Wikipedia:近江源氏