ここでは、一休寺墓地 について紹介します。

在所:京田辺市一休寺内

【ポイント】

①.以下の墓石が確認出来ます。

 ・茶人寸松庵

 ・近江源氏六角(佐々木)承禎

 ・観世流3代、15代、19代

【関連写真】

 茶人寸松庵乃墓2024_09_28 金只   佐々木六角承禎之墓2024_09_28 金只   

 能楽観世流乃墓2024_09_28 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板(能楽観世流の墓)

 3代  音阿弥

 15代 元章

 19代 清興

 能楽の発展は、観世りょおの観阿弥。世阿弥父子と室町幕府三代将軍足利義満によるところが大きい。

 2代世阿弥は6代将軍足利義教により追放され、義教の寵愛を受けた世阿弥の甥の音阿弥が3代目の観世太夫となった。

 音阿弥は「希代の上手」といわれ名人の名が高い。

 深く一休に帰依していたという。

 応神元年(1467)に亡くなった。墓石は19代清興が文化2年(1815)に建立したものである。中央に音阿弥、右に元章、左に清興と3基ならんでいる。

➁.近江源氏 佐々木承禎の墓

 戦国時代の武将で南近江の守護、六角義賢ともいう。

 観音寺城主であった。

 上洛を目指す織田信長の侵攻を受け、永禄11年(1568)観音寺城を退去し流浪の身となった。慶長3年(1598)に宇治田原で病死したという。

 承禎以外にも息子の義治など一族の墓もある。

➁.観阿弥の出目

 吉川英二の小説「私本太平記」によると楠木正成の妹が伊賀の服部家に嫁いで生まれたのが「観阿弥」とある。Wikipediaでもこのことに触れられている。

【参考情報】

Wikipedia:観阿弥

Wikipedia:近江源氏