ここでは、建長寺(楠葉) について紹介します。
【ポイント】
①.開基:建長2年(1250)、宗(中国)の臨済宗の僧〔蘭渓道隆(ランケイドウリュウ)〕が開基
⇒ その後、鎌倉に同名の寺を建立 (鎌倉五山)
②.宗派:浄土宗(西遊寺末寺)・・慶長19年(1614)臨済宗より改宗
③.大般若経(寺宝)
④.本尊:聖観音(ショウカンノン)・・・慈覚大師の作(平安時代)
⑤.山門は、薬医門造り
【関連写真】
【補足説明】
①.寺伝によると、建長2年(1250)に宗国の僧『蘭渓道隆』が来朝し、先ず当寺を草創し、後に鎌倉に下って同名の鎌倉五山の一つに数えられる鎌倉建長寺を建立したと伝えられている。以来三百年間は禅宗であり、その間、36代の法脈を相続した。
慶長19年(1614)に函蓮社文誉歴大和尚の時に浄土宗に改め、彼が中興開山した。
明治維新の兵火で堂宇は灰燼に帰したが、本尊その他は付近の水に埋めてようやく守ることができたと言う。
第27世学誉常快和尚の時に再建したが、昭和9年(1934)9月の暴風雨により本堂、庫裡が共に倒壊した。
昭和32年(1962)4月14日に当山第38世順誉芳孝和尚に再建され、今日に至る。
②.所蔵の聖観音は、当山が禅宗時代の本尊で、慈覚大師円仁の作と伝えられ、昔は楠葉里観音寺正観音として遠近に知られていた。平安時代藤原期の作と推定されている。
※ 慈覚大師円仁(794~864)は平安時代初期の天台宗を大成させた僧。
※ 山門は、薬医門で、薬医門のいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める「矢食(ヤグイ)」からきたと言われています。
また、かつて医者の門として使われたことからとも門の脇に木戸をつけ、たとえ扉を閉めても四六時中患者が出入できたともいわれていますが、この構造でなければならない理由はなさそうです。
構造は、前方(外側)に2本、後ろ(内側)に2本の4本の柱で屋根を支えます。
特徴は、屋根の中心の棟が、前の柱と後ろの柱の中間(等距離)に位置せず、やや前方にくることです。したがって前方の2本の柱が本柱として後方のものよりやや太く、加重を多く支える構造になります。