九度山町を貫く、町石道、京大阪道、黒河道(くろこみち)など、七つの道が記されている。
黒河道は森の童話館を通るので、コーヒーを飲んでゆっくり休憩するのはいかがでしょうか
登山道としてのアクセスなどが記されている画像。(PDF)
橋本市からのアクセスがわかる。
「この地図は国土地理院の承認を得て、同院発行の50,000分の1地形図を複製したものである。(承認番号 平27近複、 第24号)」がPDFで掲載されていて正確な位置がわかる。
橋本市が豪雨、土砂災害などで通行どめや危険の告知などを行っている。
https://yamap.co.jp/activity/565329
高野山までの道のり、高低差などが図解されている。
Wikipediaより(CC-BY-SA)https://ja.wikipedia.org/wiki/黒河道_(高野参詣道)
紀の川沿いの橋本起点に和歌山県北部とその周辺に位置する1000m級の山々のひとつである高野山に通ずる道。町石道、黒河道、京大坂道、小辺路、大峰道、有田・龍神道、相ノ浦道の7高野参詣道のひとつ[1]。
2016年(平成28年)10月24日にユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」として追加された。このとき女人道、京大坂道不動坂、三谷坂も同時に追加登録されている。
定福寺~五軒畑岩掛観音~明神ヶ田和~わらん谷~市平橋~市平春日神社のカツラの木~旧久保小学校~茶堂跡~粉撞(子継)峠~黒河口女人堂跡間の約16㎞。橋本から高野山への近道とされ、大和国からの参詣人が多いことから「大和口」とも呼ばれた。
黒河道は、9世紀に伝わった真言密教と関わりがあり、人々の祈りの場として多くの人が参詣道を登った。真言宗をひらいた弘法大師(空海)の伝説も多く残っている。
当時の様子を示す記録がほとんど確認されていないが、高野町粉撞峠にある地蔵の銘文から、二軒茶屋→久保→粉撞峠→千手院口という高野街道が室町時代中期に成立していたと推察できる。[2]
1594年(文禄3年)、豊臣秀吉が高野参詣の帰途、この道を用いたという逸話が紀伊続風土記に残っている。[3]
黒河道は険しいので、多くの参詣客は西の京大坂道を利用し、この道は周辺の村々の産物を高野山に届ける「雑事(ぞうじ)のぼり」で使われたとみられている。
現在は健脚者向きのハイキングコースとして豊かな自然を楽しむことができる。橋本から高野山、さらに熊野古道小辺路を経由して熊野本宮大社まで歩くことができる。沿道には世界遺産を示す道標が定福寺前の1番から子継峠の26番まで整備され、橋本駅から高野山奥の院まで上りは徒歩で約7時間。
ほぼ全域が高野山町石道玉川峡県立自然公園に隣接している。
黒河道 についてご存知のことをぜひ教えてください