閖上(ゆりあげ)は、笹かまぼこ発祥の地です!
仙台藩の領内には白砂青松の海岸線が50里あまり続き、見事な平目の宝庫でした。中でも、伊達藩直轄の閖上港は活気がありました。閖上のトイタ網漁法でとれた大漁の平目を保存加工することに着目したのが、この地で慶応年間より魚を商っていた今でも続くかまぼこ屋さんの祖先です。練って焼いて「手のひらかまぼこ」として明治23年頃に世に送りだし、これが笹かまぼこの始まりです。 (出典:名取百選)
ゆりあげ港朝市や秋祭りなどのイベント時にはお客様が自分で炭火で焼く笹かまぼこを市内笹かまぼこ店に提供して頂き、大好評です。
閖上には、笹かまぼこ屋が3つありました。現在は2つ。
【菅野蒲鉾店】(~2011年3月まで)
丸一の愛称で呼ばれ、手作りの味が地元に愛されていました。ご夫婦で代々受け継がれた手作りの笹かまぼこを毎日工場で生産。ご主人の菅野さんは、かつて、ゆりあげ港朝市の理事長(現理事長の櫻井さんは当時専務)で朝市を盛り上げ、観光協会や商工会などで温厚な人柄でみんなをまとめていた人です。
1998年に竜巻が閖上大橋近辺を襲い、閖上大橋でトラックが宙を舞い、運転手さんが亡くなるという災害がありましたが、その時に、菅野蒲鉾工場も大被害を受け、ようやく再建したという時、2011年3月の大震災で工場・店はなくなり、残念ながらご夫婦も津波被害で亡くなりました。直前に店を継ぎたいと言った息子さんがその製法を学ぶ前だったそうで、残念です。
(以下、名取市商工会のページを引用します。)
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看板の無い店、これが私の店です。地元の方々に丸一の屋号で親しまれております。生業となったのは私の生まれた年からです。笹蒲鉾製造は私の祖父の祖父か らの伝統を引き継いでおります。夫婦二人での仕事は只、誠実をモットーに厳選した原料を使用し真心を込めて製造、焼き上げております。私共にとって店の味 が忘れられないといって戴ける事を支えに頑張りたいと思います。また、閖上港朝市にも出店しており、笹蒲鉾、焼きカレイ、筋子、たらこ、明太子等も販売し ており贈答品のセットも好評です。《年中無休》
代表者 菅野 仁
住所 宮城県名取市閖上二丁目4-11
【佐々直】 創業大正5年 笹かまぼこの老舗
かつて、六十二万石の大藩であった仙台藩。その領内を流れる名取川の河口に広がる閖上浜は、藩政時代より伊達家直轄の漁港として栄え、周りの海は見事な平目の宝庫でした。この地で慶応年間より海産物の商いをしていたのが「佐々直」の先祖でした。大量に水揚げされた平目の保存加工に着手、笹かまぼこの前身「手のひら蒲鉾」を誕生させたのが始まりです。
佐々直の「手のひら蒲鉾」は先祖があみだした当時の製法を今に再現し、一枚一枚手でたたいて形を作り、炭火でじっくりと焼き上げたものです。
(出典:佐々直商品カタログ)
東日本大震災では、閖上(ゆりあげ)にあった、3つの工場と店舗が津波でなくなり、震災直後は、仙台市中田店(国道4号バイパス沿い)にあった、お客様に見せるための製造ライン「笹かまぼこができるまで」1本だけで24時間休まず細々と製造を続けてきました。
2012年4月に念願の新工場が名取市増田柳田にでき、更に2013年7月には同工場敷地内に名取直営店もできました。
閖上には、社長が震災の際に従業員を避難させた後、一人逃げ遅れ、屋上で、海から来る津波を眺めてこの世の終わりだと思ったという、閖上の工場の一部が、壊さずに残されています。(以下の写真は、2011年11月佐々直工場跡地に設置した復興桜展示場の植樹イベントの様子)
【ささ圭】
閖上二丁目にあった店舗と工場、また平成3年に建設された五丁目の本社及び工場を、東日本大震災の津波で失い、震災直後、一時廃業を覚悟。
製造ラインがなくあきらめていたところ、90歳を超える高齢の会長夫妻が昔の手作りの工法を従業員に教え、名取駅の近くの店舗内にて、手作りで笹かまぼこ造りを再開。この手作りの笹かまぼこは大好評で震災後、ファンを増やしました。高齢者の技が震災企業を救ったということでTVに多く取り上げています。
2012年9月、名取市館腰に新工場ができ、本格的に製造を再開しました。