鴨宮駅(かものみやえき、1923年 - )は、鴨宮にあるJR東海道線の駅。
沿革
1920年(大正9)3月31日、下府中、上府中、豊川の各村長が連名で、鴨宮駅設置の請願書を鉄道院総裁・床次竹二郎あてに提出(3)。
同年10月21日、熱海線の国府津-小田原間が開通し、酒匂川信号扱所が酒匂川信号所に昇格した(3)。
1922年(大正11)10月11日ないし1923年(大正12)1月13日、駅建設工事着工(3)。
同年6月1日、酒匂川信号所から昇格して、鴨宮駅開業(1)(3)。当日の職員数は12人、乗降客数は564人、収入は35円だった(3)。周辺整備をする以前に駅が開業し、駅周辺に田畑が多かったことから、横浜方面へキュウリ、タマネギ、ナス、カボチャ、キャベツなどの野菜を出荷するのに駅が利用された(3)。
同年9月1日、関東大震災で駅舎が倒壊(3)。同年12月1日に駅舎再建(3)。
1924年(大正13)1月24日、東海砂利(株)および酒匂川砂利(株)の専用線(砂利引込線)敷設(3)。
1928年(昭和3)世界的不況のため、酒匂川砂利線営業停止(3)。
1930年(昭和5)3月、高野乗合自動車が構内に乗り入れたが、乗客がなかったため、間もなく営業中止(3)。
1931年(昭和6)5月、営業不振のため東海砂利線閉鎖(3)。
1932年(昭和7)、上倉乗合自動車が構内に乗り入れたが、営業不振のため、間もなく営業中止(3)。
1934年(昭和9)12月、丹那トンネルの開通に伴い、熱海線が東海道本線となった(2)。
1937年(昭和12)10月、東海砂利線の営業再開(3)。同年、酒匂川砂利線も営業再開(3)。1938年(昭和13)頃、伊東線建設道路の道床用の砂利を毎日貨車10両ほどで輸送していた(3)。
1958年(昭和33)12月、箱根登山鉄道のバスが構内に乗り入れ(3)。この頃、駅周辺に大企業が進出し、従業員住宅やアパート等が増加したため、鴨宮駅の乗降客、バス利用者とも増加した。
1959年(昭和34)4月、新幹線の敷設工事が新丹那トンネルの起工により開始(3)。鴨宮は新幹線工事の基地となる(3)。
1962年(昭和37)6月、鴨宮基地-綾瀬間(12km)で新幹線の試運転開始(3)。
1964年(昭和39)10月1日、東海道新幹線営業開始(3)。鴨宮基地は保守基地となり、構内に「新幹線発祥の地」碑が建立された(3)。
1970年(昭和45)5月20日、西湘貨物駅が開業し、鴨宮駅の貨物業務を引き継ぎ(3)。
1972年(昭和47)3月15日、荷物関係集約により荷物取扱い廃止(3)。
1973年(昭和48)9月1日、鴨宮-小田原間の線路増設工事着工(3)。あわせて小田原市の駅南部土地区画整理事業(実施年度:1967・昭和42-1982・昭和57)実施(3)。このとき、駅ホーム南側線路を走行していた貨物線が、北側線路を走行するよう変更されたとみられている(3)。
1975年(昭和50)3月27日、新駅舎(橋上本屋)建設工事着工(3)。翌1976年(昭和51)7月20日、一部が竣工し、新駅舎の営業開始(3)。同年12月11日、自由通路が南口広場まで開通(3)。当日の職員数は21人、乗降客数は19,049人、収入は537,560円だった(3)。
1978年(昭和53)6月4日、駅北口広場の「自転車一掃作業」が実施される(3)。同年7月20日、駅北口用地内に小田原市営の自転車駐輪場が開業(3)。同年8月20日、市の区画整理事業で南口広場が竣工し、1979年(昭和54)4月1日に使用が開始された(3)。
1980年(昭和55)12月20日、自動券売機2機を設置(3)。
1997年(平成9)6月1日、自動改札機を新設(3)。
リンク
- JR東日本トップ>鴨宮駅
- f54560zg「西湘貨物・鴨宮配線図」『懐かしい駅の風景~線路配線図とともに』2010年3月6日
参考資料
- 飯田耀子「熱海線と小田原駅開業」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、54-55頁
- 「年表」同書148-151頁
- さんわ会25周年記念誌編集委員会『下府中地域 我が町の今と昔』さんわ会、2000、32-35,38-43頁