経営視点で社長を支えた経理、総務、財務の兼任するひと

 

 

株式会社プランニング・ホッコー総務部長 工藤悦子さん

 

 

たのむから経理に数字を持たせないでください

「経理に数字を持たせないでください、、、、一所懸命やっちゃうから」って大声で笑う工藤さん。ホッコーは豊社長の方針で、社員全員が営業の目標数字をもっている。会 社にかかってくる電話ひとつが接客だ。経理や総務の社員も電話をとれば営業マン。お客様の担当して最後まで責任を負ってしまう。だから、経理や総務のしごとは猛スピードで片付けてゆく。休みの日に出てきて、経理やろうっと思ったら、一本の電話。取ったら最後。丸一日営業対応してしまったこともある。せっかくゆっくり経理作業を楽しむはずだったのにと、それも笑顔。

社長との対立、大げんかは三回したかしら。普通の喧嘩は100回を超えるわね。私、養う家族があるわけじゃないから、本気で喧嘩できちゃうのかもしれない。辞表出したことはあるけど、それがね、なんで出したか覚えていないのよ。がっはっは。社長がいつまでたっても次を探さない。それで、「いったいいつ、私の後任を入れるんですか」って訊きに行くじゃない?すると、「なんで辞めるのよ」っていわれて、辞められなかった。社長ずるいの。気がぬけちゃうわよね。ほんとうに。「今年もありがとう。工藤さんのおかげだ」って社長の年末のひとことで、しっかりやる気出しちゃうの。

工藤さんは1989(昭和64)年12月に入社。ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受け、昭和が終わる前夜。この年は年末に平成元年となる。

経理の人がいないからって紹介で入れていただいたの「うちにきてくんないかなあ、帳簿みてくれ」って。それが、ひどい帳簿でね。へへ。やったことない人が担当していたみたいで、しかたなかったのね。源泉徴収もできていなかったの。「経理、みましょう!」ってスイッチ入っちゃったのね。やっている間に、抜けられなくなってしまったの。

工藤さんは大笑いする。

1,000 万の未収金があることになっているから、回収しないとおもって、その前に、記入もれのチェックや伝票の起票漏れを精査していたら「未収金はないじゃん」てなったりね。入金の未処理があったり。「これは信用なくすなあ」って、かえって燃えちゃった。入金と支払いの相殺をおねがいしたら、未払いが発覚したりね、最初の年は大変なことだっの。

いいのよ。社長は営業が主だから、仕事をつくることに集中してらしたの。これは私が経理をちゃんとしなかったらダメだなって。やりがいあったわよ。

仕事ってね、営業あってのはなしでしょ、仕事とって、納めて、初めて会社が動くから、私たちはねそれを支えてなんぼ。経理がちゃんとしていないと、信用なくすし、次の仕事が来なくなるでしょ。お金なくても支払いはするの。えへへ。でも社長の人柄と実績で、お取引先と相談したり、月末まで待ってもらったり、いろんな方法でね信頼を重ねていただいて。本当にどうにもならないってことも、数ヶ月の後の予測は立つようになるのね。そしたら社長がちゃんと銀行と話ししてくれたり、なんとかしてきてくれた20年だったんですよ。

短大でセクレタリーコースを出てね、少し働いてとっとと結婚しようと思っていたの。はは。社員教育とか、お茶の出し方、座り順、和文、英文タイプ、和文タイプも覚えたから、裁判所、弁護士事務所、製版なんかの仕事のときも役に立ったわよ。

  • 二年目で普通の帳簿になった。
  • 二年半で、銀行に魅せられる帳簿になった。
  • 帳簿が綺麗になって、お金借りられるようになった。
  • 社長のお金の感覚がすごかった。
  • 仕入れる、借りるという投資の判断はほんとうにすごかった。

社長の中で絵が完全に出来ているときは、私たちに任せてくれたの。脈絡なく始めたことはどれも失敗しているわね。ベトナムからゴカイを仕入れたり、ぬいぐるみを海外で作って、目が違うところについているから、外してボンドで貼り直したり。携帯電話のレンタルショップを突然始めたり。ほんとうに笑っちゃうわよ。

といいながら、納品にこぎつけたり、早く手を引いたり、経営に打撃を与えず、教訓だけが残されているようだ。

でも、本業との関わりやお客様の要望からスタートしたものは、必ず後で生きてくるの。看板の出力の機械を買った時もね、最初「工藤さんやんなさい」って。えっ?それがお客様に喜んでもらえて、会社をささえて、一つの部署になってゆく。そして、新しい会社とつながってゆくの。その発想はすごいの。最初はね「経理のパソコンあるべや、それで看板作れ」って笑っちゃうわよね。

 

そうそう、給料を思い切ってあげたことがあったの。前の年売り上げがよくてね、10パーセントあげたらね、その年、ものの見事に売り上げが落ちたことがあるの。「社長、がんばるから給料あげてくれ」って。社員はそのつもりだったのよ。

「こ のままじゃ危ないな」と思いましたね。もちろん、会社が潰れるとまではおもっていなかったわよ。でも、どうやって気合い入れるかと考え抜いたの。ところ が、売り上げ落ちたこと自体が先生だった。やっぱりみんなが危機感もったのね。頑張ったんだと思います。仕事取ってこなきゃならないのね。ちゃんと翌年に は復活しましたね。

 


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