2021年4月からスペシャルオリンピックス日本・北海道の理事長に就任された阿部雅司さんにインタビューをしました。阿部さんは現在札幌オリンピックミュージアムの館長をされています。https://sapporo-olympicmuseum.jp

OC傘下となり実現した札幌オリンピックミュージアムのセットロゴ 、そのモニュメントの前で大倉山ジャンプ競技場をバックに

 

阿部さんとスペシャルオリンピックスとの出会いは?

マラソンの有森裕子さんはスペシャルオリンピックス日本の理事長をされていて、同じく理事をされていた楢山秀明さんと、北海道事務局長をされていた楢山雪枝さんご夫妻のお誘いで2013年に「有森裕子なよろひまわりリレーラン」という名寄市のイベントにいらしたのです。彼女は「名寄ひまわりまちづくり大使」で私は「名寄観光大使」をさせていただいてましたので、そこで再会しました。

そして、有森さんと楢山ご夫妻にスペシャルオリンピックスの活動を教えていただきました。そして、日本の理事をさせていただいたり、スペシャルオリンピックスの陸上のコーチ資格をとって名寄でプログラムに参加させていただいたり、活動を楽しみました。実際にコーチをさせてもらうと、アスリートから与えられる感動は素晴らしいものでした。自分はいつの間にか勝つことばかりを考えていたんですよね、ところが、できなかったことを一つ出来るようになったときのアスリートの喜びに、自分もかつてないほどの高揚を感じることができました。スポーツを始めた頃の感動と喜びが蘇ったり、ものすごく努力するアスリートの想い胸が熱くなります。

オーストリアで観た国際大会も衝撃でした。オリンピックに引けを取らない開会式、閉会式。街中胸を貼って誇らしく歩く世界中から集まったアスリートが溢れかえり、地元の方々と交流している姿がありました。いつか、日本でもこんな大会を開きたいと思いました。

 

日本理事長の有森裕子さん、前北海道理事長の池上喜重子と北海道で開催を予定したナショナルゲームの記者会見での一枚
 

北海道理事長としての想い

「北海道の組織をしっかり構築してほしい」と有森さんから連絡いただいたときに就任を決意しました。意思決定を早くしたいのはスポーツのチーム運営でも同じですね。新たに常任理事会をつくり、すぐに集まって意思疎通を図ることにしました。名寄のプログラムでコーチをしていた経験は理事長としての土台となりました。活動を実際に担う皆さんのお気持ちを一番大切にします。

また、スポーツでまちを元気にする取り組みを名寄市の参与としてさせていただきましたので、この経験がとても役に立つと思います。それまで選手、コーチという経験しかなかったですから、企画を立てて運営したり、多くの人のお力をお借りしたり、役職を通じて得難い勉強をさせていただいた4年間でした。一度お断りしても熱心に誘って下さった名寄市長と名寄市のみなさんには本当に感謝です。ここでの経験は本当に私を成長させてくれました。名寄で学んだことをオリンピックミュージアムでも活かします。

今回、北海道を道北、道東、道南、道央の四つのブロックに分けて担当の理事を置きました。例えば、稚内で参加したいとか、プログラムを立ち上げたいという声があったら名寄にいる理事が飛んで行きます。ブロックごとに近くの理事がケアが出来る体制にしました。

池上前理事長には深く感謝いたしております。池上さんは札幌と北海道の経済界に素晴らしい繋がりをお持ちで、新しい体制を作る上でも基盤となる方々と心を集めてくださいました。残念ながら、2020年の冬季ナショナルゲームは、感染症からアスリートを守るため中止しましたが、その準備のために集まってくださった人々や団体、企業のみなさんで作ってくださった体制を作っていただいたのです。池上さんでなくてはできなかったことでした。私は今まで私になかったこの繋がりも引き継がせていただいて、スポーツで頑張ってきた自分の繋がりを活かしてスペシャルオリンピックの存在を北海道のすべての地域で広めることを徹底します。

ミュージアムに設置したジャンプシュミレーションマシンで、美しい飛型を見せてくれた阿部さん


http://nc-japan.ens-serve.net 阿部さんのブログ

https://ja.wikipedia.org/wiki/阿部雅司 阿部さんのウィキペディア

ノルディック

歩くスキーは脚だけでなく、腕もよく使い、バランスをとるために体幹が鍛えられます。夏の競技の人も冬の間に是非挑戦してほしいですね。札幌は無料で道具を貸し出す公園とコースももあるので、多くのアスリートにお勧めします。

キングオブスキー

ノルデイック複合(ノルディックコンバインド)という競技はジャンプの瞬発力とクロスカントリーでの持久力の両方で戦う競技で、ヨーロッパではこの競技に勝つことをキングオブスキー、正にスキーの多様と呼ばれていて、その競技で日本の選手が金メダルをとることは驚異的でした。(1992年のアルベールビルオリンピック団体戦で、阿部さんは代表に選ばれながらもレースの前日に控えに回り、仲間が金メダルをとる姿を見た後、夏冬の交互開催となった2年後、1994年のリレハンメルオリンピックでは、河野孝典選手、荻原健司選手共に二位以下に圧倒的な差をつけて、団体戦二連覇に重要な貢献を果たしました。その後、ソチオリンピックまでの20年間日本代表コーチを務め20年間日本代表コーチを務め育てた渡部暁斗等の選手を育てています。)

 

円山・大倉山界隈